今、あなたに必要なメッセージだよ 「SoYo風オラクルカード」引いてみてね!

「君たちは どう生きるか」を観て私が受け取った事

※一部、ネタばれがあるので、まだ映画を観ていない人で、事前に情報を知りたくない人は、映画見てから読んでね!

昨日、「君たちは どう生きるか」を観に行った。

沖縄に移住して、
沖縄北部の名護に住んでいた時は
映画館がなく、

映画を気軽に観に行くという事が
できなかったのだが

今年6月に北中城村(中部)に
引っ越してきて

目の前に
大きなショッピングモールがあって
その中に映画館があるので

歩いて映画を観に行くことが
できるようになった。

東京の北品川に住んでいた時は
品川の映画館に歩いて20分かけて行っていたが
(電車に乗れば隣駅だが、
運動がてら、よく歩いていた)

今は、ドアツードアで歩いて5分もかからない。

これも、私の中での
大切な「引き寄せ」の一つだ。

なぜなら、映画は

私のエネルギーに刺激を与え
私の視野を拡大させる一つのツール
だから。

さて、

この「君たちは どう生きるか」は
以前から主人のトシカツさんが

トシカツ

意味がわからなくて、あまり面白くないらしいでー

と言っていた。

うちの目の前にある映画館は
会員だと金曜日は1,000円で観れる。

なので、ここのところ、
金曜日に仕事が終わった後、
ほぼ毎週、映画を観にいっていたが

その選択は、
「映画館で見ると迫力があって面白そうな映画」を選択していた。

でも、どうしても
私はこの「君たちはどう生きるか」が
気になり…。


とりあえず、一通り、今やっている
「映画館で観たら迫力ありそうな映画」は
観たので

今日は
「君たちは どう生きるか」を観にいった。

私なりに感じたことがあったので
それを備忘録として残しておこうと思う。

ちなみに、あくまでもこれは、

「私が受け取った見解」であり、
人によっては全然違うものになる
こともあるので、

それを理解していただいた上で
読み進めていただくと嬉しいです♡

目次

この映画は何故「わからない」と言われるのか

どうして、この映画は
「わからない」という感想が多いのか。

それは、、

無限に答えがあるから

というのが、私の見解。

この世界、すべてそうだが、
答えというのは、人によって違うもので、
正直、無限にあると言ってもいい。

ようは

答えは一つではない
正しいは一つではない

ということ。

どうして、人は
「答えを一つにしたい」のだろうか。

それは、

自我という分離意識を感じるため
「私が言ってることが正しいんだ」
ということを、やりたい!

からだ。

映画の中で

我を学ぶものは死す

という言葉が出てきたが

これも、
「映画を観る人によっての
解釈があるのじゃないかな」
…と思う言葉だった。

「我を学ぶものは死す」の意味

これもいろいろ意味があるのかもしれないが
あえて何も調べないで(私は初めて聞いた言葉w)
私の見解を書いておこうと思う。

「我を学ぶ」と、どうなるのか?

「我を学ぶ」=「自己探求」と私は捉えているが
これをやると、「悟りを開く」という状態になる。

じゃ「悟りを開く」とは、どういう事かというと
スピリチュアルでいうところのワンネス状態になるということ。

ようは
「分離意識が無くなって、あなた=私=神(宇宙)」
ということ。

自己探求をつきつめていくと、
分離意識が無くなり
ワンネス状態(=自我の死)になる。

これを言っているのではないかな…と感じた。

ちなみに、
主人公の名前は「眞人(まひと)」だが、

「真の人」=「本当の自分」
=「悟りを開いた状態」
=「ワンネス(すべては一つ)」

ということを象徴しているのではないかな
…と思った。

また、眞人のお母さんのヒミ様は、
「不動明王だ」と私は感じた。

不動明王は、
邪気を焼き尽くすというイメージがある。

なので、いろいろヒミ様が
焼き尽くしているのは、

邪気的なモノを燃やしてるんじゃないかね?

なんて、思いながら、見ていた。

宮崎駿監督は何が言いたかったのか

主人のトシカツさんとも

この映画は結局、何が言いたかったのか?

という話になった。

その瞬間、降りてきた言葉は

なぜ、答えを一つに絞ろうとするのか?

だった。

たしかに、なぜ、私たちは
答えを一つにしようとするのか。

それは、冒頭にも書いたが
《自我を認識するため》だろう。

自分が言っていることが正しいんだ。
あなたが言っていることは間違っている。

これを繰り広げるためだ。

実のところ、喧嘩とか争い事は、
内容はどうでもよくて

結局は、
《自我を確立したい》から
やっているだけにすぎない。

そうやって
人間は《自我を拡大》させて
いろんな体験をしている。

そう。

「いろんな体験」は
《自我がないと出来ない》から。

私がこの映画から受け取った事

宮崎駿監督は、この映画で
何を言いたかったのか?

そう考えた時、私は、こう感じた。

一人一人が、
自由に答えを選択すればいい。
自由に感じればいい。
答えは一つじゃなくていい。

ということではないだろうか…と。

答えを一つにしようとするから
争いが起きる。

「君たちは どう生きるか」
その答えは一つじゃない。
無限にあっていい。
あなたの選択は尊重されていい。

という事を言いたかったのかな…と
《私の世界》では、そう受け取った。

そして、

「善悪」というものを超えて
すべての体験が貴重
だからこそ

それぞれの「体験」を尊重して
それぞれが自由に生きればいい。

そうすれば、みんな幸せになれるし、争い事も無くなるんじゃない?

と思うわけで。

人によっては、
眞人は「今の世界を、よりよい世界にするために戻った」という解釈をする人もいると思うが

【よりよい世界にする】というのは、
何か「人のために役立つことをやる」という事を
イメージしがちだが

自分を尊重し、他人を尊重し
様々な辛い体験も(自分も他人も)
勇気ある体験と捉え、感謝し
一つ一つの《すべての出来事》に感謝する

それが出来るのも、
この「自我がある世界」でしかできないので
眞人は戻ったんじゃないかな‥‥って。

そして、それこそが
【よりよい世界にする】ってこと
なんじゃないかな…って。

そんなことを、この映画から
私は受け取った。

どんな答えでもいい。
答えは無限にある。

だから、多くの人が
【わからない】になるんだと思った。

答えが一つじゃないなら
そりゃ、一つに決められないんだから「わからない」になるよね

そうすると、

じゃ、なぜ多くの人が【わからない】を選択して、わからないままにしちゃうのでしょう?
自分で好きに選択して、好きに解釈すればいいのに。

という疑問が湧いてくるのではないだろうか。

それは、私が思うに

みんな集合意識に引っ張られて
自分の意識というものが
尊重されなくなっている
世の中になっている。

それで、本当にいいの?
それで、本当の自分を生きていると言えるの?

ということを
言いたかったんじゃないだろうか?

たとえば、コ○ナのワクチン問題もそうだが

ワクチンを打たないなんて、ありえない!
お前がコ○ナになって、周りにまき散らして許されると思うのか?

ワクチンを打つなんて、ありえない!
ワクチンを打って、いろんな健康被害があったって言われているのに!

この場合、集合意識は
「ワクチンを打たないとダメ!」か

もしくは、
「ワクチンを打ったらダメ!」という

どちらかになるが、

それは、
その人の世界によって変わる

だからこそ、

どちらが正しい
というのは無い

ということになる。

さて、あなたは、この映画を観て
何を受け取りましたか?

「サイキック能力覚醒診断」作ってみたよ

結果に囚われず楽しんでみてくださいね♡

この記事を書いた人

2021年5⽉に40年間住んだ東京から沖縄に移住。

大手IT企業にて100人規模のセミナー講師、および講師育成に従事。
TV通販企業では商品企画・開発を担当するなど、ビジネスパーソンとして多くの経験を重ねる。
その後、特別な体験を経て独立。
ビジネスパーソンの経験を活かし、働く方の悩みを理解して寄り添える愛のあるセラピストとして活動。
IT関係やビジネスに関する内容など様々な現象についての相談はもちろん、普通からの自立、本質に至る話まで、独自の視点で発信している。
活動の一部を法人化し起業。
経営に携わる傍らで、使命の一つでもある執筆活動を行い現在に至る。

● 合同会社SaRaYu COO
● Kindle書籍「無を知る事で得られる最高のギフト」Amazonの6部門でベストセラー1位を獲得。

コメント

コメント一覧 (1件)

  • たえぽん、文章の中にありましたね。
    「邪気」
    なるほどね、だから火なんだ。

    私は、この映画から
    「あたなは、どう生きるか?」
    というメッセージを受け取りました。
    パラレルワールドで、なにを選んで生きるかは、あなた次第だと。
    自分が幸せになるための選択をしてゆけって、感じかな。

    きっと、いろんな仕掛けがあるんだろうけど、やっぱりジブリは難しい。
    オウムが何を意味してるのかも、よくわかんなかったし。
    あ、オウムはもしかして、集客意識なのかな。

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