昨日のブログで、
ロビンソン尚子先生から
「誰もいなくても、それは、やりたい事?」という質問をされ、
※ちなみにロビンソン尚子先生は、さとうみつろうさんが作っている「世界村」の母と言われている人です ^ ^
自分に全集中していなかったな…と
気づいた私ですが、
その後、誰もいなくても
やりたい事って何だろう?って
考えてみたんですよね。
そして、同時にいろんな人に聞いてみたのですが
誰かがいるから幸せを感じることができるのに、誰もいない世界をイメージするってナンセンスじゃない?
という人もいらっしゃったんですが
まぁ、確かにそうではあるけれども
「誰かがいるから」ということを条件にしている限り、自分を幸せにはできない‥って私は思ったんですよね。
だから、考えてはみたんですが
なかなか、答えが出てこない…。
その時、ふと気づいたんです。
そうか、物理世界の事ばかり考えていたけれど、この世界は、イメージ世界と物理世界、両方あるんだった!
物理世界だけに目を向けていたので
視野が狭くなっていましたが
そうじゃなくてもいいんだ!と思ったんです。
そして、考えたのがコレ.
↓↓↓
- ▶誰もいない世界をイメージすると…
-
つまらないから、何かを創ろう!
- ▶何でも創れるならば…
-
自分と同じような存在(ミニチュア版)を創る
- ▶一人じゃつまらないから…
-
そのミニチュア存在を沢山増やして、ミニ世界を創る
- ▶ミニ世界を見て楽しむ
-
どういう世界をこのミニチュアたちは創っていくのか、
まるでドラマや映画を見ているような感覚で
そのミニチュア世界を見て楽しむ
こうだろうな・・・と考えていたら
あれ? これ、神がやった道筋じゃない?
と、ふと気づきました(笑)
ということで、私の結論としては
自由に思い通りの世界を創って楽しむ
ってことだな…と思ったのですが
あ、今、それ、まさに、やっているよね。
じゃ、これでいいのか…
というところに行きついたんです(笑)
昨日のブログにも書きましたが
私は、どんな世界を創りたいかというと
この世界の住人、すべての人が
自由世界を楽しむ
ということをやれる世界を創りたいんですよね。
「イヤなことを無理やりやる」ことなく
「自分がやりたいこと」をやるだけで
それを求める人が必ずいて
それぞれが思い切り楽しむ世界。
ジャッジを捨て
比較・競争を捨て、、
あ、でも、こういう事も
少しは無いと、つまらなくなるかも…(^^;
となると、やはり
自由というゲームを楽しむ世界
というほうが、しっくりくるのかな。
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