「人にとって「幸せ」とは何か?」ということを考えた事ってあるかしら?
・健康だから幸せ
・仕事で成功して、お給料も良いから幸せ
・子供がいい大学に入って幸せ
・子供がいい会社に就職したから幸せ
・稼ぎのいい夫がいるから幸せ
・夫に愛されているから幸せ
・イケメンの彼氏がいて幸せ
・大きな家に住めて幸せ
・結婚できて幸せ
こんな風にあげていったら、
ぶっちゃけ、キリがないけど。
私自身も、こういう事が「幸せ」だと、
以前は心底思っていたんですよね。
18歳の時に生んだ息子が、京都大学の大学院に入って、その後、一流商社に入って、海外赴任とかやっちゃって、英語ペラペラになっちゃって、まさに自分が思い描いていた息子に育った時は
よっしゃー!
って思って「私のおかげ~」とか思っちゃうし、
東京の億ションのタワーマンションに住んでいる時は、へんな優越感に浸りながら、(ニセの)幸せを感じてしまう自分がいる。
あ、でも、今、沖縄に移住して、若干、萎えるマンションだけど(トイレとかお風呂とかタワマンの時に比べると仕様が劣るため)、そこは不幸だとは感じないなぁ。
やはり、沖縄という土地柄のせいだろうか。
きっと、素晴らしい土地のパワーをいただいているのかな。
若干、話がズレたけど、上記に掲げた「幸せ一覧」は、コインの表裏一体の話と同じで、
必ず、その幸せの裏には不幸も一緒に在るということを忘れちゃいけないと思うんです。
条件付きの幸せは、永遠には続かない
~だから、幸せ
そう考えるのが一般的かもしれないが、「~だから、幸せ」と考えるのは、非常に危険。
だって、「~だから」が無くなったら、幸せではなくなくなるから。
たとえば、上の「幸せ一覧」を例にあげて言うと
・不健康は不幸
・仕事で失敗して、薄給だから不幸
・子供が学校にいかないから不幸
・子供が働かないから不幸
・稼ぎの悪い夫だから不幸
・夫に不倫されて不幸
・不細工の彼氏だから不幸
・小さな家に住んでいるから不幸
・結婚できないから不幸
ということになっちゃう。
果たして、本当にそうなの?
小さい家に、少ないモノで、シンプルに暮らすのも、気持ちよさそうだし、
結婚しない人にとっては、自由な時間を謳歌して楽しんでいる人もいるよね。
こうやって、「~だから幸せ」というのは、
その「~だから」ということが、変わってしまったら、一瞬にして幸せではなくなってしまうよね。。
これを本当の幸せだとは言えないと思うんです。。
今は贈り物
全然関係ないけど、私の以前のサロン名は「Charm Woman」でした。
これは、女性がいつまでも魅力的で輝くためのサポートをしたいと思って(適当に)つけた名前。
でも、いつの頃からか、違和感が出てきたんですよね。
まぁ、急いでつけたので、あまり思い入れがないというのもあるけど。
サロン名を変えたい!
そこで、つけたのが
「Present=Present(今は贈り物)」。
トシカツさんは、これを見た時、
【文字化けしているのかと思った】と
驚くべき反応をしたけど、
まぁ、若干イラっときたが、そこは良しとしよう。
それよりも、私は、どうしても「今は贈り物」ということを伝えていきたかったんですよね。
英語で「現在」のことを
「Present」という。
贈り物も「Present」という。
ならば「今は贈り物」って事だよね。
って、考えた時、今、目の前に起きていること、感じていること、体験していること、
在るもの、すべてが贈り物に見えてきたんです。
雨が降る…これって、凄いことじゃないか?
雨が降るから、私たちは生きていけるけど、雨が降るためには、雲が必要だし、雲をつくるためには、空気中に水蒸気がないと出来ないし。
じゃ、その空気中の水蒸気は、どこからくるの?って考えると、海とか川とか、そういうものも必要になってくるし。
これって、壮大なシステムだよね。
傷が治る…これって、凄いことじゃない?
なんで、勝手に治っていくの? 勝手に傷がふさがっていくんだよ。勝手に。凄すぎる。
空気中の酸素がある…これって緑たちが、二酸化炭素を酸素に変えているわけだよね。
それも凄くない?
もうね、そんなことを挙げていったら、
【すべてが凄い】わけで。
普段は意識していない、ある意味「当たり前」のことが、「当たり前に起きている」と、
みんな、不思議とも、奇跡とも、
思わなくなっちゃうけど、
よくよく考えてみると、私たちが、こうやって生きていける環境がある地球って、本当に凄いし、私たち一人一人も人間も、勝手に傷を治しちゃう凄いシステムを持っているし、
とにかく【すべてが凄い 】わけで。
すべてに感謝
それがわかると、「何も起きない」「在りのままの状態」ってことが、プレゼントってことになるんです。
私たちは、いつも、「今」というプレゼントをもらい続けているんですよね。
プレゼントをもらったら、
「ありがとう」っていいますよね。
だから、もっと私たちは「ありがとう」って感謝してもいいんじゃないかと思うんです。
そして、この「ありがとう」と言い続けることができるのが、「幸せ」だと考えると、
幸せは探すモノではないし、
何か条件付きのモノでもない
だって、今、こうやって、
生きていること自体が奇跡であり、
幸せなのだから。
私が好きな言葉に、こんな言葉がある。
今日という日は、昨日亡くなった人が、
なんとしても生きたかった1日なんだよ
この言葉を最初に目にした時は、涙が出ました。。
私は、昨日亡くなった人が、
なんとしても行きたかった今日を生きているわけで。
ならば、
「今日という日に思い切り感謝して生きよう」
と本当に心から思います。
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