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「善悪」はある?ない?

善悪はあるのか?

スピリチュアルの世界では、
よく「善悪は無い」っていうけれど
本当のところは、どうなのか?というと

善悪はあるけど、本当は無い

という答えになります。

「どっちやねん!」と言いたくなると思いますが
これをこれから説明しますね。

目次

「善悪」は「誰」が創りだしたもの?

善悪は、「誰」が創りだしたのでしょう?

宇宙? 神? 創造主?

これ実は、「人間」が創り出しています。
人間が「概念」として創り出しているわけですね。

たとえば

「時間に遅れることは悪いこと」
「嘘をつくことは悪いこと」

「思いやりをもってあげることは良いこと」
「困っている人を助けることは良いこと」

といったことが「善悪」というものですが
この「概念」自体、《人によって違う》のです。

善悪の判断は人によって違う

「概念」自体、その人によって、微妙に違います。

なぜなら、人はみんな、
育ってくる環境、経験が全然違うから。

「嘘は絶対にダメ! 人を騙すことなんて、
やってはいけない」という親に育てられた子と

「嘘も方便だよ」という親に育てられた子では、「嘘」に対する善悪のジャッジは違ってきます。

人は生まれた時は、その概念がありません。
赤ちゃんは、善悪の判断をしないですよね。
快か不快か、ただそれだけ。

そして、育っていく過程で、
親の教育、学校の教育、
社会の常識などを知っていくと
「善悪」の概念が生まれるわけです。

ここでの大事なポイントは、

善悪の判断基準は《人によって違う》

ということ。

人によって、それぞれ違って、その種類・程度は、
グラデーションのように無限に存在しているのに

あたかも、自分の思う善悪の概念が
絶対的に正しく思い、

「善はコレ」「悪はコレ」と決めつけて、
それを相手に押し付けてしまうことで
他者との軋轢が生まれるというわけです。

スピリチュアルで「善悪は無い」と言われている意味

スピリチュアルで「善悪は無い」と言われているのは、どういうことなのでしょうか?

以前、随分前になりますが、
すべては「ただの体験にすぎない」
という記事を書きましたが、

私たちは、この体験をやってみたくて、
生まれてきているんだと思うんですよね。

本当のところ
「善悪」は無く、「両方在る」。

言いかえると、善と悪で
切り分けることはできない。

量子力学的にいうと「波」の状態で、
まだ「粒(物質化)」になっていない状態ですね。

もう少し詳しくイメージ的に言うと、
善悪の材料が波の状態で漂っていて
(この時点では善悪は無い)

人がそこで意図すると
(概念的なものが発生すると)
粒になり「善悪がある」という状態になる。

でも、善悪が粒になったとしても
それはコインの表と裏のような《表裏一体》なので

どんな事にも「善」の性質も持っているし、
同時に「悪」の性質も持っている。

この性質は、
この世界の仕組みのようなものなので、
もう認めるしかないのですが。

どんな事にも、善と悪、両方兼ね備えているんだね

という風に、認めることが出来ると、
物事を俯瞰して見れて
いろんな事に抵抗することもなく
人生をスムーズに歩んでいけるように
なると思います。

「悪」も時には必要

この世界に存在しているもので、
不必要なものは何一つありませんよね。
必要だから、ただ、そこに存在している。

普通「悪」は排除したくなりますが、
「悪」も必要だから、存在しているわけです。

先月、私が運営している「そよ風の仲間たち」の
運営メンバーで「そよ風イベント」を
やったのですが

<私が書いたイベントレポートはこちら>

この時、悪魔のエネルギーを降ろしたら、
最後は昇華させるという流れだったのですが

結局、悪魔のエネルギーが爽快なのか、
そのまま悪魔のエネルギーと一緒に
お帰りいただいた方も多くいらっしゃいました。

これは、どういうことかというと、

自分の「善」が、
自分の欲望を抑えつけてしまっていて
「やりたいことが出来ない」という
制限がかかってしまっている方が
多いということ。

でもこの「悪」のエネルギーを借りる事で、
その自分が「善」と思っていることを
一旦壊すことができて
新しく再創造させることができるわけです。

そうすると、

「今まで遠慮して
行動できなかった人が行動できる」
ようになる。

行動できるようになると、
自由になった気分になり、

「なんでもできる!」という
気分になるのですが・・・

「悪」は「悪」でしかない

この「悪」のエネルギーを扱って、
自分の行動制限を外していく場合、
この事を知っておく必要があります。

「悪」というものは、人間が創り出した概念なので、「悪」は「悪」だということ。

人間世界で「悪」というと、どういうものか?

と考えると理解できると思うのですが
間違いなく《イヤなエネルギー》ですよね。

だから、この「悪」のエネルギーは、
自分の固定観念、制限していたものに気づき、
破壊する時だけに使用する。

この悪のエネルギーを濫用して

周りにイヤな気分にさせていい。
自分勝手でいい。

ということを、外に向けて、
そういう言動をして、行動をして、

そのエネルギーを発すると、
必ず自分に戻ってきます。

何、あの人、自分勝手なことやってるの?!
いい加減にしてほしい!

と、必ず、そういうエネルギーを
受け取ることになります。

基本的に
「自分が出したエネルギーは
必ず自分に戻ってくる」ので、

ある意味「痛い目」にあう(代償を払う)
ということなんですよね。

ある人から、
こういう話を聞いたことがあります。

悪魔は神と同じ力を持っていて「自分は何でも出来る! この世界を制覇できる!」というエゴが大きくなりすぎて、神から追放されたのよ。

だから悪魔にとりつかれた人は、最初は必ず《成功する》の。

でも、悪魔の役目は《人間を破滅させること》だから、そうやって、最初は成功させて、悪魔に依存させて、最後には《突き落とす》ということをやるのよ。

そうやって、人間を破滅に向かわせるのよ。

・・・と。

なるほど。

あのマザーテレサさんも、
最後は、自分の中の悪魔と闘っていて、

エクソシストに頼んで、
サタンを追い出すことをやった
という話を聞いたことがありますが、

そう考えると、
誰も持っている《自己否定》という
「人間の弱み」につけこんで、

一旦、成功させることで、
《自己価値が上がった》と思って、喜ぶ。

でも、成功したら成功したで、
それをキープするために、
「不安との戦い」になるわけですよね。

そうやって、キープし続けることで
《自分の価値が保てる》と、
勘違いしてしまうわけです。

その勘違いが、ドンドン自分自身を
苦しめることになって、

アリ地獄のように、抜け出せなくなる…。

「悪」のエネルギーを利用する時のポイント

悪のエネルギーを利用する時の
重要なポイントとしては

自分だけに悪のエネルギーを使い、
外には発振しない(発振は「外に向けてエネルギーを振動させる」という感じです)

ということ。

「悪のエネルギーを利用した行動・言動」は、
外に発振した時点で、
必ず誰かがイヤな思いをしています。

もちろん、イヤな思いをした人は、
それを味わいたくて、その人にやらせているので、

ここにも、もちろん「善悪」は無いのですが

でも、私自身は、
その役目をやりたいとは一切思いません。

例えば、

Aさんが、悪のエネルギーで、
Bさんに対して全く思いやりもない
身勝手な言動・行動したら

Bさんが怒って
「もうAさんとは付き合いをやめる!」となり

Aさんは、結局のところ
《Bさんという友人を失う》
ということに なります。

例えば、子が、親に反抗して、
悪のエネルギーで、身勝手な行動をして、

「家には、もう二度と戻らない。
自分は自由に好きなことをするんだ!」

となった場合、
子は《親を失うことなる》
ということに なります。

こうやって「悪のエネルギー」は、
結局のところ、何かしらの《代償》を
払うことになるのです。

人は純度100%の悪魔にはなれない

ハロウィンイベントをやった時に
「純度100%の悪魔のエネルギーは素晴らしい」
的なことを言いましたが

残念ながら「純度100%の悪魔」には、
ほとんどの人はなれません。

なぜなら、人間は必ず
《罪悪感》を持っているから。

身勝手な行動をして、
友達を失った時、

身勝手な行動をして、
親を失った時、

身勝手な行動をして、
周りから相手にされなくなった時、

それを、なんとも思わない人は、
かなりの達人であり、悟りを開いた人です。

ただ、悟りを開いた人は、身勝手な行動は必要ないので、そもそも、そういう意識も無く、そういう事になりません。

でも、普通の人なら、
必ず、無意識レベルで「罪悪感」を持っています。

顕在意識ではわからなくても、
潜在意識で必ず持っています。

なぜなら、潜在意識は
《みんなつながっている》から。

これが「集合無意識」と
言われるものですね。

もう無意識的に
「罪悪感」を持っているのですが

でも、この「罪悪感」があるからこそ、
そういった「哀しみ」を
味わうことができるわけです。

この「哀しみ」を味わいたいからこそ、
「罪悪感」というものを
持つ必要があるわけですね。

まとめ

「善悪」は人間が創りだした概念です。

そして、その人の過去の経験などによって
「正しさ」が決まり、
その「正しさ」によって判断されます。

「悪」は、凝り固まった
「正しさ(固定観念・信念)」を
破壊する力があるので、

一旦、破壊して、新しく再創造
(赤ちゃんのような純粋な状態)ことに利用する。

でも「悪は悪」なので、
悪のエネルギーを外に発振すると、

周りの人をイヤな気分にさせたり、
迷惑がかかります。

そして、そのエネルギーは
必ず自分に戻ってきて
《代償を払う》ことになります。

すべては「バランス」。

善も悪も本当は無いんだ
ということを理解しつつ、

悪は固執しているものを破壊する時に使って、
善は自分自身が心地よくなることに使う。

どちらも外に向けて発振するのではなく、
自分自身で使うという感じですね。

こうやって、
使い分けができる人に
なりたいものです。


この記事を書いた人

2021年5⽉に40年間住んだ東京から沖縄に移住。

大手IT企業にて100人規模のセミナー講師、および講師育成に従事。
TV通販企業では商品企画・開発を担当するなど、ビジネスパーソンとして多くの経験を重ねる。
その後、特別な体験を経て独立。
ビジネスパーソンの経験を活かし、働く方の悩みを理解して寄り添える愛のあるセラピストとして活動。
IT関係やビジネスに関する内容など様々な現象についての相談はもちろん、普通からの自立、本質に至る話まで、独自の視点で発信している。
活動の一部を法人化し起業。
経営に携わる傍らで、使命の一つでもある執筆活動を行い現在に至る。

● 合同会社SaRaYu COO
● Kindle書籍「無を知る事で得られる最高のギフト」Amazonの6部門でベストセラー1位を獲得。

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