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「この世界が一人」ならば「嫌われることはない」のか?

嫌う人はいない?

たえさん、「この世界は自分一人」ならば、他人はいない…って事なので、人から嫌われることは無いのですか?

こんな質問を以前受けたことがあった。

この答えを言うならば

たえぽん空想中

人間として生きている限り、嫌われることはあるでしょー

という感じ(笑)

ちょっと、そこを詳しく書いてみようと思う。

目次

「この世界は自分一人」の意味

「この世界は自分一人」という話は、私が書いた以下の本の中でも書いている。

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「この世界は自分一人」というのは、もう少し踏み込んだ言い方をするならば

この世界のしくみ

この世界は、ホログラムの幻想で、そのホログラムを全部自分が創り出している

ということ。

言うなれば

自分の頭の中で繰り広げられていることが、そのまま投影されているものが「現実」ということ。
絵にすると、こんなイメージ。

脳内イメージ

大元が、脳内。
現実は、ただの「投影」なので、「幻想」とか「ホログラム」ということになる。

だから、自分が思い描いたものが、現実として投影されているので、「思考が現実になる」というのは、言ってみれば、当たり前といえば、当たり前(笑)

この現実の自分を元に考えるなら、自分がいる場所は、自分の脳内の中ということ。

自分の脳内の中に、自分もいて、他人もいて、山があって、海があって、宇宙がある…そんな感じ。

こんなたった1500g程度の小さな脳の中に、それが繰り広げられているんだから、なんとも壮大な話だけれど、ここで脳の大きさに惑わされてはいけない(笑)

で、この自分の脳内で世界が繰り広げられているから、言いかえると自分一人ということになるけれど、

この脳内の世界で「嫌われない」ということを排除することもできないわけではないけど、そんな貴重な体験を排除するの?って、私は思う。

ま、そもそも「嫌われないですか?」と意識する時点で、「嫌われない世界」を創ることは絶対にできない。
そこに気づくことが先決かなとも思う。

「他人から嫌われること」は、無いのか?

人から嫌われることは無いのですか?

たえぽん空想中

いや、あるでしょ

と、私は答える。

これ、なんで「嫌われる」ことを、排除しようとしているのか。そこを、しっかりと観てほしい。

これ、「嫌われる」ことを「悪」とジャッジしているよね。
スピリチュアルの世界では「善悪は無い」なんて、よく言われる割には、こうやって人は、ついつい無意識でジャッジしちゃう。

まぁ、無意識でジャッジしてもいいけれど、疲れたくなければ、ジャッジを減らすことをおススメしたい(笑)
私だって、ついついジャッジしちゃうけど、疲れるのはイヤなので、それに気づくように意識はしている。

「嫌われる」ことは「悪い」ことだから、「排除したい」

もちろん、この気持ちは、よくわかる。

でも、「好かれる」ことがあるならば、「嫌われる」ことは絶対にある。
ぶっちゃけて言うと、生きている限り、ここから逃げることはできない

だって、この地球は「二元性で出来ている」のだから。

二元論(にげんろん、dualism)とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。例えば、原理としては、要素としては精神物体など。

Wikipedia

「男と女」、「陰と陽」、「光と闇」、「白と黒」といったように、すべての事象に対して2つの意味が存在するというのが二元性とか、二元論とか言われている。

まぁ、これ2つと決める必要もなく、グラデーションと思ってもらったほうが、しっくりくるけど。

一つの事象に、無限の意味があるから、「好き」⇔「嫌い」の ⇔ のところに、たくさんの「好き嫌い」がある…てな感じ。

ただ、説明するのに、それでは話がややこしくなるので、ここでは「好き」と「嫌い」の2つということで、とりあえず(笑)

まずは、順を追って回答すると・・・

たえさん、「この世界は自分一人」ならば、他人はいない…って事なので、人から嫌われることは無いのですか?

たえぽん空想中

顕在意識の自分にとって「都合のいい」ことを考える癖を、まずは取っ払ったほうがいいかもよー

本当に私たちは、無意識に顕在意識の自分に都合のいいように考えてしまう

でも、都合のいいように考えるからこそ、いろんなことが体験できるので、これを無くす必要もないんだけど、それも、ちょっと横に置いておいて…。

顕在意識の自分にとって都合のいいように考えている自分に気づく

これがわかった上で

たえぽん空想中

「嫌われる」を体験しなかったら「好かれる」という意味がわからないよね・・・

ということになる。
さらに、それが理解できた上で、話を進めるならば

たえぽん空想中

「嫌われる」ことを排除することは、「人間の体験をやめる」ということだよねー

ということになる。

だから、

たえさん、「この世界は自分一人」ならば、他人はいない…って事なので、人から嫌われることは無いのですか?

たえぽん空想中

「嫌われる」ことがあってもいいよね。人としての貴重な体験なんだから♪

ということになる。

「嫌われない」という境地とは

本当の意味で「嫌われない」という
境地に行きたいのであれば

「嫌われたくない」という意識があっては、
絶対にそうならない

そもそも、本当に
「嫌われない人」が存在するとしたら、

その人にとって
「嫌われる」という意識は、ゼロである。

「嫌われる」という単語さえ、思い浮かばないだろう。

相当、悟りを開いている感じだけど、
たぶん、その境地に行ったら、

人間として生きている必要もないんじゃないの?」って私は思う。

だって

人間の醍醐味は、
感情を味わえること、じゃない?

そして、この感情こそが、
人を動かす動力じゃない?

(これが、私が提唱する【感動変容学】でもあるんだけど)

善があって、悪があるから、心が動くわけで。
その差が、心を動かすわけで。

心が動くと、感情が出てくるわけで。
感情があるから、心を感じることができるわけで。

善も悪も無かったら、
心が動かない(=感じることができない)から、つまらなくない?(笑)

だから、善も悪もあっていい。
その差があるから、心が動いて、感じることができる

ようは、「心が動く」=「感動」であって、
ここにも良いも悪いもない

「感動する」ってことも、
ついつい「良い方」のイメージしちゃいがちだけど、

思い切り悲しいことがあって、
涙を流すのも「感動」だよね。

誰かが亡くなって、心が動くから
「悲しい」という感情が湧くいて、
感じることができる

「悲しい」という「感動」があるから、
「涙を流す」「落ち込む」といった
「行動」になる。

そして、その「行動」を他人が見て、
また何かを感じる。

ようは、
「感じる」ことの循環が起きているわけだ。

こうやって
「感動」して「感情」を味わうことが
人間として生きている醍醐味
じゃなかろうか。

だから、

たえぽん空想中

「嫌われる」ことも、大切な貴重な体験じゃない?

ってことになる。

だから

たえさん、「この世界は自分一人」ならば、他人はいない…って事なので、人から嫌われることは無いのですか?

たえぽん空想中

「嫌われる」ことも、大切な貴重な体験。それを排除しちゃったら、人間を体験する必要が無くなるよ。

ってことになるわけよね。

「嫌われる」という体験を通して、自分はどう在りたいのか

「嫌われる」という体験は、
別に悪いことじゃない

といっても、
顕在意識の自分にとって、
ラクなことではない

「嫌われる」というのは、振り子で言えば、
思い切り振れている状態だから、
そりゃ、大変だ。

でも、大切なのは、
その体験を通して、
自分がどう在りたいか?じゃないだろうか。

自分が嫌われてイヤな思いをしたならば、そういう事をする人間になるのは、やめよう

と思ったり、

嫌われて病んでしまった人の力になってあげよう

とか

イヤな思いをしたから、他の人にもイヤな思いをさせてやろう

とか

(最後の思考に無意識にジャッジしていないですよね? 念のためw)

自分が他人に対して、
どのように思考し、
どのように接していくのか、
どう在りたいのか

これは、千差万別だと思う。

この「千差万別」というのが、
この世界は自分一人」に通じるわけだよね。

それぞれ同じような体験をしても、
人それぞれ感じ取り方は違って、
考え方も違ってくるし、
その後の見方も違うし、行動も違う。

そうやって「違う」から、
また私たちは、他人と接することで、
いろんな体験ができる。

みんな「同じ」だったら、つまらない(笑)

だからこそ、その「違い」を
「ダメ」とジャッジするのではなく、

それぞれの
「違い」を尊重できる人間で在りたい
と私個人的には思っている。

ま、とにかく、そのためにも

二元性を超える」ことが必要で、二元性に日々気づいていくこと。

ということが、
絶対的に必要だと私は思っている。

そうすることで、
無意識のジャッジが少なくなり、
だいぶラクになれるし

自分も他人も尊重できる人間
なるのではないだろうか。

ま、それさえも、
「良い」というわけではないが、
私自身の在り方として、そう在りたいと思う。

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この記事を書いた人

2021年5⽉に40年間住んだ東京から沖縄に移住。

大手IT企業にて100人規模のセミナー講師、および講師育成に従事。
TV通販企業では商品企画・開発を担当するなど、ビジネスパーソンとして多くの経験を重ねる。
その後、特別な体験を経て独立。
ビジネスパーソンの経験を活かし、働く方の悩みを理解して寄り添える愛のあるセラピストとして活動。
IT関係やビジネスに関する内容など様々な現象についての相談はもちろん、普通からの自立、本質に至る話まで、独自の視点で発信している。
活動の一部を法人化し起業。
経営に携わる傍らで、使命の一つでもある執筆活動を行い現在に至る。

● 合同会社SaRaYu COO
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