私は数年前から
たえさん、凄いですね
と言われないように
それを意識している。
それは、決して
「尊敬されるような事を何もやらない」
というわけではない。
それは、
「尊敬される」ことを意識して
行動するのではなく
「自分のやりたいことをやる」
ことにフォーカスする
という事。
私がやっている事、
行動自体は大して変わらないのに
そう意識するだけで、
たえさん、凄いですね
と言われることが、ほぼ無くなったから、
これは、これで面白いと感じている。
「嫌よ嫌よ も 好きのうち」
「嫌よ嫌よも好きのうち」
なんていう言葉があるが
結局のところ
「嫌い!」の裏側には
「好き!」が存在しているし
「好き!」の裏側には
「嫌い!」が存在している。
それと同じで
「凄い!」の裏側には
「しょぼい!」が存在している。
これは、コインの表裏一体と同じだ。
この地球は「二元性」で出来ている
「男」⇔「女」
「影」⇔「陽」
「太る」⇔「痩せる」
といったように、
この地球は「二元性」で出来ている。
だから、「凄い」の裏側には「しょぼい」がある。
だから、「凄い」と思っていたものが、いつの間にか「しょぼい」になることも多々あるのではないだろうか。
男女関係、友人関係などの人間関係も
「好き」から始まっても、
その「好き」は続かない。
そんな体験を、多くの人が
したことがあるのではないだろうか。
だからこそ、あなたの事を
好き!好き!
凄い!凄い!
なんて言ってくる人は、同時に
「嫌い」「しょぼい」も持っている
ってことを知っておいたほうがいい。
「凄い」と言わせる意味
私が
たえさん、凄いですね
という言葉を、
相手に言わせたくないと思ったのは、
スピリチュアリストとして、
だいぶ理解が進んできた頃だ。
なぜなら、そこには
「しょぼい自分」がいることを知ったから。
「自分は凄いんだ」って、
自分の中で思うのはいいんだけど
(自尊心を高めるので)
私は、私以外の誰かには言わせない
‥ということを意識している。
なぜなら、、
この世界のしくみとして、
この世界は自分一人。自分は無価値。(価値は誰かとの比較だから、自分一人だったら価値という言葉が存在しない)
ということがあるからだ。
ということは、誰かが私のことを
たえさん、凄いですね
と言ったとしたら、
それは、私が言わせていて
紛れもなく私の中に、
自分の価値を見出そうとしている
自分の存在意義を示そうとしている
ようするに、
自分が「自己否定している」という事
というのがある証拠だから。
これを持っていると、
ぶっちゃけ、苦しいだけで、楽しくない。
自我+創造主=じぶん
上記の「しくみ」から考えると
「凄い」と言わせているということは、「自我」のパーセンテージが高いことを意味する。
自我のパーセンテージが高いと、
創造主のパーセンテージが低くなり
この世界を創造するのが、大変になってくる。
ぶっちゃけ、98%ぐらい、
創造主に任せてしまったほうが
随分ラクになるはず。
まとめ
「凄い!」「好き!」と、相手に言わせることは
当然、その逆もある…ということを知っておくことが大切だ。
結局のところ、それを言わせている自分は
「自己否定」を持っていて
その「自己否定」を感じるために
「しょぼい!」「嫌い!」を、
いつか体験することになる。
そんな体験は、あまりしたくない、
というのであれば
好きと言われたいから、自分を犠牲にして「性格良い子ちゃん」になる
凄いと言われたいから、やりたくない事でも一生懸命頑張る
こういうところから、
卒業してもいいのかな、って思う。
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